開設宣言

 2019年12月17日

 人類の歴史において、ある就活生が、今ある悠々自適な生活への執着を断ち切り、あまたの個性的な出版社志望の学生たちの間で、大手総合出版各社によって与えられる新卒正社員の地位を占めることが必要となったとき、その他出版を志望するすべてのライバルの意見を真摯に尊重するならば、その就活生は自身が内定にむけてブログを開設せざるを得なくなった理由について公に明言すべきであろう。

 わたしは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての出版就活生は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、独自の個性、文章力、および出版社内定の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした多数の就活生を厳選するために、その間に競争がなされ、出版社は倍率数百倍の選考を行う。そして、いかなる規模の出版社であれ、魅力的な個性に溢れ、社会のニーズをくみ取ってバズを起こす企画力があり、情報を的確に伝えたり人々を引き込む文章をつむぎ出す作文力を持つ就活生を求めているということ、である。もちろん、いま必要とされているコンテンツを社会に届ける役目を担う出版社がこうした人材を欲することは思慮分別が示す通りである。従って、あらゆる内定者エッセイが示すように、われわれ就活生は、そうして掲げられた理想の内定者像に向かって、ある程度方向付けをしたうえで自身を成長させていく必要がある。しかし、東京での生活と周囲の人間関係が、わたしのあらゆる人間存在への興味関心をある程度に満たし、上京前は大阪のクソ田舎でひとり山中を歩き回り、詩や文学を読みふけり、古典物語の中にさえ深く人間性の発露を見出すほど人間交流へあこがれていたかつてのわたしの感性や作文力を損なわせてしまったことが明らかであるときには、今のありきたりな生活を捨て去り、自らの作文力の再強化のために新たな文章を書く習慣を確立することが、出版社を志す者の権利であり義務である。これらのわたしが浸りきってきた環境は、まさに世間の中での摩耗であり、そして今、まさに再びしずかな孤独の中で才能を磨き上げる必要性によって、わたしはブログの開設を迫られているのである。現在の出版社の採用選考は、度重なるES執筆とクリエイティブ作文のくり返しであり、そのすべてがわれわれに対する作文力の試験を直接の目的としている。このことを例証するために、以下の事実をあえて公正に判断する世界の人々に向けて提示することとする。

 出版社は、ときに5枚に渡るほどの膨大なESの執筆をわれわれに要求してきた。

 出版社は、筆記試験の場でわれわれに3つのキーワードを提示し、その場でそれらすべてを盛り込んだ作文をまとめあげる試練を課してきた。

 出版社は、そうした三題噺と呼ばれる作文試験で、即興で作った話を更に面白くさえし、オチまでつけるといったことをわれわれに課すことによって、一般学生であるわれわれに落語家の能力を求めてきた。

 出版社は、常識とバランス感覚を備えた人材を欲する一方、多数の志望者の中でも際立つような個性の持ち主を評価してきた。

 出版社は、われわれの学生時代に、つい引き込まれるような珍しく面白い体験談を期待してきた。

 出版社は、時事問題への精通や最新のテックサービスを実際に利用するなど、世間の流行に敏感であることを注文してきた。

 以上は私の偏見であり、出版社はかくも理不尽かつ苛烈な試練をわれわれに課してきた反社会的勢力といえる。

 こうした選考のあらゆる段階で、われわれは創作力をいかんなく発揮し、魅力的な文章をこさえ、自分自身を売り込まなくてはならない。にもかかわらず、東京での都市生活を知ってなまりきったクリエイティビティの刃は、数万の兵の中で没個性である。ゲーテは言った、孤独の中では才能が磨かれ、世間に混じり入っては人間性が涵養されると。

 従ってわたしは、はてなブログを開設し、いまいちどわたしの作文力の刃を、 世界のインターネットユーザーに対して掲げ、このかつての多感な文学少年の名において、そしてその権威において、 以下のことを厳粛に公表し宣言する。すなわち―わたしはおよそ作文の機会などない今の生活の中で、このブログをクリエイティブな作文の練習場とし、ときどき三題噺の練習として前衛落語を創作して冷やかしで投稿したり、作文指南本の内容をレポートのようにまとめなおしてここに整理し学習の助けにしたり、ときに就活で気を病んだ時にはあえてたのしげなブログを書き散らし、楽しいことがあった日にはそのまま素直に書き記す―と。そして、わたしは、この宣言を支持するために、神の摂理による保護を強く信じ、わたしの飲み会にも行けた時間、Netflixを見れた時間を捧げて相互に誓う。

半年後の内定のために署名。

妖怪、出版小僧。